第3回・・・任天堂帝国の繁栄

 さて、順調な滑り出しを見せたFCですが、TV宣伝の効果もあってかまたたく
 間に普及していきました。

 任天堂帝国はこの後約10年ほど続きますが、そのなかでもやはり波はあります。
 第1次繁栄期とも呼べるのが「ドラゴンクエスト」(エニックス)の登場でしょう。
 ゲームをやっている人間は当然のこと、そこらのばあさんでも知っているこの化
 け物ゲーム、FCで初の100万本セールスをもたらしました。
 さて、何がうけたのかといいますと、多分FC初のRPGということもありました
 が、まさに初心者でもとっつきやすいゲームシステムとストーリー性が挙げられま
 す。お姫様を助けに行く騎士というストーリー性は今でもRPGの原点として継承
 されていますし、ゲームシステムにしてもドラゴンクエストタイプとも呼ばれる
 コマンド選択方式の原点(注)でもありました。

 注)ただし、これはゲームとして初の試みかというとそういうわけでもなく、
    パソコン版ではウィザートリィという超大作がこのシステムを取っていました。

 このゲームで一気にFC熱に拍車が掛かります。もう他のゲームマシンのことなど
 視野に入ってはいなかったでしょう。

 「ドラゴンクエスト」はその後もストーリー性とゲームバランスを保ちながら第4弾
 まで発売し、以降スーパーファミコン(以下SFC)に移っていきます。

 さて、第2次繁栄期はなにかというと、これまた有名すぎて説明の必要も無いで
 しょう、「スーパーマリオブラザーズ」(任天堂)です。
 簡単アクションの割に手強い敵キャラ。いろいろなワールド(ステージ)を用意する
 ことで簡単に飽きさせないようにした作り。どれをとっても一級品といえましょう。

 もちろん、この繁栄期に失敗が無かったわけではありません。
 代表的な失敗策は「ロボット&ジャイロ」でしょう(^^;
 これは、FCとプラスティック製のロボットを繋いでコントローラでそのロボット
 を操ろう、というものでしたが、たいした機能が無かったため、ヒットはしません
 でした。もう2つあります。「ガン(銃)」と「ファミリーベーシック」です。
 これらもあまりうけませんでした。特に後者に関しては極一部(子供ながらにコンピ
 ュータに興味あるなど)には受け入れられましたが、やはり取っ付きにっかったので
 しょう。
 しかし、これらのオプション品も失敗はしたもののFC自体の可能性を具現したもの
 であることは確かです。

 逆に成功したものもあります「ディスクシステム」は一応成功の部類にははいるとおも
 われます。ご存じない方に説明しますと、要はゲームをFD(今はなき2インチクイ
 ックディスク)で供給しようという試みです。一度購入したゲームが飽きてしまった
 場合、500円とそのFDを持っておもちゃ屋さんに行くと、自分の好きなゲームに
 書き換えてくれるのです。500円で違うゲームが出来るのと同じ理屈です。
 このディスクシステムからもなかなかの名作が出てきました。「スーパーマリオブラ
 ザーズ2」(任天堂)や「ファミコン探偵団」(任天堂)です。

 しかし、繁栄はいつか潰えるもの。FCを擁している任天堂にも問題はありました。
 ソフトの発売を管理しなかったがために、ソフトが氾濫してしまい数々の駄作ソフト
 通称クソゲーが発売されてしまったのです。
 これに関しては任天堂側で同行できませんでしたので街にはいろいろなソフトが
 それこそ毎日のように発売されました。違法ながらアダルト向けのソフトも売りださ
 れたのは、失策といえましょう。

 ただ、管理すれば良いというわけでもないのです・・・それはまた後程お話しましょ
 う。

 第2次繁栄期を過ぎるとFCもマンネリ化してきます。ここからソフトハウス各社は
 内容ではなく豪華さ、ハデさで勝負に出てきます。この時代はゲームセンターのゲー
 ム(以下アーケードゲーム:AG)より数段劣るものになってしまっていたので、
 どうしてもゲームセンターにお客を取られてしまいます。
 ただ、見てくれだけでもソフトが売れる時代になっていきました。ただ、その中でも
 ビッグヒットになるのは内容の濃いもの、プログラム技術が物を言ったのは言うまで
 もありません。

 しかし、マンネリ化自体を止めるわけには行きませんでした。
 そんな中任天堂はいまから約8年ほど前に【ゲームボーイ】(任天堂)を発売します。

 次回第5回[任天堂の復活]
     第6回[小型機対決(カラー?モノクロ?)]


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