第2回・・・TVゲーム時代の幕開け−カセットビジョンとFC対決−
さて、15年ほど前のある時期、遂に我々の前に姿をあらわしたのが、
【カセットビジョン】(エポック社)です。
後のFCに通じる形を作り上げた名作といえましょう。
その名のとおり、カセット型のROM採用し、カセットを換える毎に
新しいゲームが出来る。カセットは随時発売されるという画期的なシステム
でした。自宅にいながらにしていろいろなゲームが楽しめるということで、
爆発的に・・・売れたというわけでもなさそうでした(^^;
原因としては、宣伝力が無かったのはもちろんですが、"TVゲーム"という
物自体にまだ購買者たちは抵抗があったように思います。この時代ゲーム
センターといえばインベーダーのはやる直前の話です。ゲームセンターという
言葉自体耳にしてない人も多いなか、売れるはずもありません。
しかし、結構楽しいゲームはありました。
「与作」というゲームがあります。画面上にある2本の木を猪に邪魔されないように
切り倒すという、ただそれだけのゲームなのですが、いつ猪が出てくるか分から
ないというスリリングな展開に、心をうごかされたものです。
同時期に【オセロマルチビジョン】(ツクダオリジナル)やアタリ社の製品(製品名
失念)なども出ましたが、カセットビジョンには及びませんでした。
しかし、それらの常識を打ち砕くような製品が昭和59年登場します。
ファミリーコンピュータ通称ファミコンです。
この時代になるとゲームセンターのインベーダー熱も冷め、新しいゲームが
次々と登場してきました。「ドンキーコング」(任天堂)や「パックマン」(ナムコ)が
それに当たります。
それらのゲームセンターでしか出来なかったゲームたちが家庭用になって登場した
という事実は、衝撃的でした。というのは、ゲームセンターというのは、不良の
溜まり場となっており、どうしても近寄れない。しかし、一度ゲームというものを
体験して、ハマってしまったものにとってはもう一度やりたいという欲求が高まる
ものです。その需要と供給が合致してFCは生まれました。
しかし、任天堂帝国はまだ基礎段階、これからどんなライバルが出てくるか
分からない状況でした。とりあえず、ライバル機であったカセットビジョンを
一蹴すると(決定的な違いはドット絵しかできないのと、スプライト表現(ドット
絵の更に細かいものとおもってくださって結構)が出来るようになったこと)、
覇王への道を一直線に突き進み始めました。
・・・しかし、ライバル機は他にもいたのです。
【SEGAマーク1・2・3シリーズ】(セガ)です。発売は確かFCよりも前だ
とおもいましたが、自信はありません(^^;マーク3とFCが同時期でしょう。
セガは、自社の魅力的なゲームを次々と自社のハードに移植し、次々に
人気を打ち立てていったのです。
こうして任天堂 vs SEGAの争いは今日までつづくことになります。
次回第3回[任天堂帝国の繁栄]
第4回[セガの抵抗〜自滅への道]
#ここからツリーは分岐します。大体年表順に書いていくので混乱することは
ないでしょう。要はハードメーカによってツリーを分けてみたいので(^^)
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