一人、場末のバーでグラスを傾ける、俺。別に一人でダンディズムに浸っているわけで
  はない。この世の最後の思い出にと思い、このような場所で酒を飲んでいる。

  思えば転落の道を転がり始めてから、ここに行き着くまでは早かった。勤め先の倒産、
  女房との離婚、慰謝料、養育費・・・この10年これでもかというほどがんばってきた。
  女房のことは今でも愛している。だからこれほど苦しんでいるわけだが。当の女房のほ
  うはどうなんだろう・・・

  しかし、世の中というのは非常なものだ。つまるところ、「金・金・金」。世の中、す
  べて金。そのつまるものがなくなった俺としては、もうこの世にいても仕方がない。

  まぁ死んだところでどうなるわけでもないが、別れた女房に保険金が少しは下りるだろ
  う。保険業界が苦しんでる今では雀の涙ほどしか出ないかもしれないが、でないよりは
  マシだ。娘の養育費のたしにでもなれば俺としては本望だ。

  俺は死ぬのか・・・どうせなら楽に死ねるのがいいよな。最後まで苦しみぬいて死ぬの
  はごめんこうむりたい。

  「隣、よろしいかしら?」
  「え?あ、ああ、どうぞ」

  隣を見ると、随分ときれいな女性だった。こんなところにくるような女じゃない。なに
  をしに来たのだろう。くだらないことだが、一人で邪推でもして楽しむか・・・

  「わたしが、こんなところにいるのが不思議かしら?」
  「!?」

  女は俺に向かって声をかけてきた。いや、確かにそれを邪推しようとしたが、別に女の
  方をジロジロ見ていたわけではないし・・・俺の心を読まれたんだろうか。妙に警戒心
  を抱かせる女だ。それと・・・

  「それに、あなた、目が死んでる。死にたがってる目をしている」
  「はぁ?」

  おもいっきりすっとぼけてみせたが、そのものズバリじゃないか。ピタリ賞でハワイ旅
  行でもいきたいのか?猫も杓子も海外旅行に行く(そのくせ自分が世界地図上のどの場
  所に行くのかも分からない)ご時世で。

  「わたしには、人の心が読めるみたいなの」
  「ふぅん。それで俺があんたをいぶかしがってみたり、死にたがってたりしてる、と思
  ったわけだ」
  「そういうことになるかしらね」
  「そうやって、見ず知らずの男の心を読んで、一人で楽しんでるってわけか。ふん、幸
  せな人間だな」
  「そういうあなただって、わたしのことを邪推して一人で楽しもうと思ってたわけでし
  ょう?同じだと思わない?」
  「・・・それはそうだな」

  あまりに図星だったので、認めてしまった。細い足、くびれた腰、豊かな胸・・・おっ
  とあんまり考えてると、また心を読まれてしまう。が、そう思わざるを得ないほど奇麗
  な女だ。まだ20代だろう。

  「で、まだ死にたいのかしら?」
  「まぁな。この世に未練もないことだし」
  「そう・・・」

  気がつくとシティホテルのベッドの上で寝ていた。隣にはさっきの女。どういういきさ
  つかは忘れたが・・・どっちが誘ったんだろう。あまり覚えていないし、思い出す必要
  もないか。

  「あら、おこしちゃった?」
  「いや、そういうわけでもない」
  「そう・・・」

  女はバッグ−−おそらく高価なブランド品なのだろう−−からカードを取り出した。な
  にをするつもりだ?

  「ねぇ、賭けをしない?」
  「賭け?」

  カードを2枚取り出す。一つはハートのA(エース)。もう一つは・・・ジョーカー。

  「この2枚のカード。あなたが1枚ひいて、ハートのAが出たら、あなたの今までの借
  金、すべてわたしが肩代わりしてあげるわ」

  そういうが早いか、バッグから小切手帳を取り出し、さらさらと額面を記入する。なる
  ほど、俺の心が読めるらしい。ちょうど俺が欲しいくらいの額面がさらっと記入された。

  「ふん、それで。ジョーカーだったら?」
  「この世に未練が残るような苦しい死に方をしてもらうわ」

  女はそっけなく言った。どうやら、ジョークではないらしいな。

  「でも、ここで俺があんたを殺してその小切手を奪えば俺は死なずにすむかもしれない
  ぜ?」

  もっともな意見を投げかけてやった・・・が、

  「あなたに、それが出来ないと思ってるからこうやってそばにいるんでしょう?」

  ・・・心を読まれるというのはこういうことか・・・確かに。人を殺してまで自分が苦
  しみから逃れたいとは思わない。どうしてといわれても、それが俺だからだ。妙に律義
  なところが、前からあったな・・・それで随分と損をしてきた。バカ正直だって。しか
  たないよな、性分なんだから。

  いいだろう。その賭け、乗ろうじゃないか。どうせ死ぬ身だ。ジョークの一つだったと
  しても、死ぬ前の余興だと思えば楽しいもんじゃないか。

  「そう。じゃぁ、行くわよ」

  女が丁寧にシャッフルする。2枚しかないカードを。裏返してカードを置く。生か死か、
  二者択一。まぁ、期待はしていないが・・・

  「さぁ、選んでちょうだい。あなたの人生の結末を・・・」

  どちらでもいい。俺は左のカードをめくった。

  ・・・黒々とした魔王。ジョーカーが描かれていた。

  「・・・行き着くところまで行きついたってことか」
  「残念だったわね。一応うらまれるとイヤなので、こちらもめくっておくわよ」

  右のカードをめくる。当然のように赤いハートのAが現れた。

  「まぁ最期にちょっとした遊びをさせてもらって満足だよ。好きにしてくれ。もう未練
  はない」
  「ええ、約束ですからね・・・これを」

  女はバッグから取り出した粉薬を俺に手渡した。

  「これは・・・脳への酸素、血液を徐々にすくなく出来る薬。要するに眠るように死ね
  るってこと」
  「・・・苦しい死に方をさせられるんじゃないのか?」
  「さぁ、魔が差したのかしらね」

  俺も覚悟を決めなくてはならない。というよりもとから覚悟は出来ているわけだが。ご
  くっ、っとその粉薬を飲んだ。

  「それじゃぁ、おやすみなさい。わたしはそろそろ行くわね」
  「ああ、楽しかったよ。また、どこかで会えるといいな。その時は安らかに死なせても
  らった礼を言わせてもらうよ」
  「ふふっ、そうね。それじゃぁ」

  女はそういうと部屋を出ていった。俺は・・・一人ベッドの上で横になっている。粉薬
  だからだろうか、効きが早いのか、体が妙に重くなっていた。まだ眠くはないが・・・
  知らない間に眠るように死ねるのだろうか。
























  翌日だろうか。外が明るいので多分昼頃だろう。体はまったく動かない。鉛のような体
  だ。しかし、目は見えるし耳は聞こえる。死んだのだろうか、俺。要するに眠っていた
  みたいだ。

  誰かが部屋に入ってきた。

  「奥さん、こちらです」

  あれは・・・女房?横にいるのは・・・娘か・・・そうか、俺が死んだことを警察かど
  こかから知らされて駆けつけたのか・・・

  「確かに・・・別れた夫です」
  「そうですか・・・」

  そういうと警察の人間らしき人が俺の顔に布をかけた。そうか、俺は死んでるんだ・・
  ・でも意識はある・・・

  ちょっと席を外していただけませんか?と警察の人間に女房が言った。ん?

  「少しだけですよ。外で待っていますので」


  警察の人間が外に出て行き・・・この部屋には、死んだ俺と、女房と、娘の3人になっ
  た。女房は俺の顔にかかっている布を取りこちらを見つめた。

  「お母さん・・・やったね」
  「しっ!声が大きいわよ」
  「これでやっと本当のお父さんと暮らせるんだね」
  「そうね。保険もたんまりかけておいたことだし、当分は遊んで暮らせるわね」
  「ふふっ、何買ってもらおうかしら」
  「とりあえず、お父さんと暮らす家を買わなきゃね」

  ・・・って、どういうことだ?

  「この人も哀れよね。お母さんと離婚させられるためだけに生きてきたみたいじゃない」
  「まぁ、この人もそれはそれで幸せそうだったからいいんじゃないの?自分の娘じゃな
  いと知らずに死ねたんだから」
  「そっか・・・はやくお父さんのところに報告に行こうよ」
  「そうね。もうこの人には用はないし」
  「そうそう。この部屋を出るときは悲しそうな顔をするのを忘れちゃだめよ」
  「はーい。分かってますって」

  娘は俺の子じゃない・・・しかも俺が自殺したのは保険金のため?しかし、俺は自殺。
  女房に罪はかからない。俺は、うまく使われたのだろうか。俺の人生を使って金儲けし
  たってことか?

  おい!誰かいないのか?俺はだまされて殺されたみたいなもんじゃないか!警察はどこ
  にいったんだ!おい!誰か!誰か・・・

  これが未練を残して苦しみぬいてということなのか・・・俺の意識がだんだんと遠くな
  っていく、お待たせと言った感で。思考能力が鈍る。これが死か。くそ・・・

  最期に窓の外を見る。窓の外にはあの女が立って俺のほうを見ていた。俺の意識は消え
  た。

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