<終章:Epilogue(3)> Shiori's EYE

  大学生になって、大学に通って。勉強に身を入れて頑張った。クラブは結局演
  劇部。懲りないみたいね。

  勉強とクラブには一生懸命だったけど、一つだけ一生懸命になれないことがあ
  った。

  恋愛。

  わたしに、お付き合いして欲しい、って言ってくれる男の子たちは結構いたん
  だけど、わたしは・・・なんだかそういう気にはなれなかった。もちろん、お
  付き合いしてみてもいいかな、っていう気持ちはあったんだけど・・・はい、
  お付き合いしましょう、とは言えなかった。心のどこかでまだ「彼」を待って
  いたんでしょうね、きっと。そんなの絶対無理なのにね。

  風のウワサでは今度結婚するという話を聞いたわ。高校を卒業してから一度も
  会っていないけど、きっと変わっていないんでしょうね、「彼」は。もう、あ
  れから5年が過ぎてしまったのかと思うと、やっぱり時が経つのは早いんだと
  思わざるを得ないね。

  大学生活はそれなりに楽しかったな。でも・・・高校生活の方がずっと楽しか
  った。出来ることなら高校生に戻ってもう一度やり直したい、と思ったことも
  再三あったわ。でも・・・

             ☆              ☆              ☆              ☆

  大学卒業間近のころ・・・

  「ああ、詩織ちゃん。やっぱりここにいたのか。今日も来るのが早いね」
  「あ、すみません・・・」
  「え?ああ、気にしない気にしない。詩織ちゃんはこのお店のアイドルだから
  ね。お世話になってるよ、本当に。それはそうと、今日はお店も休みなことだ
  し、どこかに出かけるってのはどうだい?」
  「え?今日はお休みじゃないじゃないですか」
  「いいんだよ。私が休みって決めたんだから」
  「ふふっ、そうですね。たまにはお休みしないと」
  「そうと決まれば早速出かけるか。店、閉めるから手伝ってくれるかい?」
  「は、はーい」

  大学に入ってからここ『ときめ後』でアルバイトをさせてもらうことになった
  の。何かの拍子に『ときめ後』のドアをくぐったときに、マスターからアルバ
  イトの話を持ち出されたわけ。もともと喫茶店のお仕事って面白そうだし、二
  つ返事でOKしちゃった。もちろん、マスターはわたしと彼のことは承知の上
  だったんでしょうけど・・・

             ☆              ☆              ☆              ☆

  でも、今は違う!

  わたしにとっての大切な人。そんな人にやっと巡り会えた。かなりの時間、側
  にいたのに、全然気づかなかった。でも、気がついたらすごく大切な人だとい
  うことに気づいてしまった。恋愛ってそんなものなのかもしれない。

  わたしにとって大切な人・・・

             ☆              ☆              ☆              ☆

  「詩織ちゃんそろそろ出かけようか」
  「あ、はい」

  とりあえず近くにあるきらめき中央公園を散策。今は秋。紅葉の季節。赤く染
  まった樹もあればすでに葉が落ちてしまった樹もある。地面は落ち葉のじゅう
  たんで埋まっている。歩くたびにサクサクとなって心地よい音を奏でている。
  わたしとマスターの歩調がちょうどいいみたいね。サクサクサク・・・と3拍
  子。まるでワルツを踊っているかのよう。

  「なんかもう冬に近づいてきてるんだね、詩織ちゃん」
  「そうですね。夜とか朝なんかもかなり冷え込んでますしね」
  「それにしても、あんまり給料出せなくてごめんね。こんなところでいうのも
  失礼かもしれないけど」
  「え?そ、そんなことないですよ。きちんと仕事した対価として十分なお給料
  いただいてると思いますよ。それに楽しいですし」
  「そういってもらえるとしがない喫茶店の店主としてはありがたいよ・・・」
  「マスターにはコーヒーとか紅茶とか、いろいろと教えていただいていますし
  とっても感謝してるんですよ」
  「・・・そう言ってもらえるとすごくうれしいな。ところで、詩織ちゃん、今
  年で卒業だっけ?」

  そう。もう大学生になってから4年がたってしまった・・・もう卒業。就職先
  も決まって・・・

  「そうか、詩織ちゃんに手伝ってもらってからもう4年も経つんだ・・・どん
  どんオヤジになっていくわけだ・・・」

  上を向きながら頭の後ろで手を組んで空に向かって独り言。すごくサマになっ
  てる。いえ、年相応って意味じゃなくて・・・

  「本当にありがとう。詩織ちゃんのおかげでかなり楽をさせてもらったからね。
  やっぱり一人より二人のほうが断然楽なんだっていまさらのように悟らされた
  よ」
  「え?なんかそう言ってもらえるとお手伝いした甲斐があります。こちらこそ
  いろいろと教えていただいてますから・・・ほんとにコーヒーいれるの、うま
  くなったんですよ。うちでコーヒーいれるとものすごく誉められるんです」
  「そうか・・・そりゃそうだな。詩織ちゃんは筋がいいからなぁ。飲み込みも
  早いし・・・」
  「・・・どうしたんですか?マスター?」

  なんだかちょっとさびしそうな顔を見せたマスター。普段では絶対に見せない
  顔だった。

  「いやね、よく考えてみると、詩織ちゃんのいれたコーヒーって飲んだことが
  ないような気がしてさ」

  あっ、そう言われてみればそうかもしれない。技を伝授してもらった恩師にコ
  ーヒーをいれてないなんて、なんて失礼な話なのかしら。

  「そうですよね。わたし、すっかり忘れてました。あの、お店帰りましょう!」
  「え?」
  「お店帰りましょう。わたし、コーヒーいれますから。今回はマスターがお客
  さんです。わたしの腕がどれくらいのものか見てください」
  「い、いや、でも・・・せっかく休みにしたんだし・・・」
  「たまにはマスターもお客さんになってみるのもいいじゃないですか。ほら、
  行きましょう」

  ちょっと強引だったかもしれないけど、急遽店に逆戻り。もしかして、マスタ
  ー、いろんな予定を立ててたのかしら・・・悪いことしちゃったかな・・・。

  15分くらい経ったらドアを開けてください、とマスターに伝えてわたしだけ
  お店に入る。15分もあればお湯や機具の用意は問題ないわね。コーヒー豆、
  コーヒーメーカー、カップ・・・OK。

             ☆              ☆              ☆              ☆

  カラン、コロン、カラン、コロン・・・

  いままではその真下でしか聞いたことのないドアのカウベルの音。この4年間
  は真下ではなくカウンター越しからずっと聞いてきた。お客さんによってドア
  の開け方っていろいろなの。急に開けて開ききる寸前で寸止めする人。そろそ
  ろっと開けて自分がとおれる隙間だけ開ける人、様々。

  マスターは・・・後者。といっても、なんだかはずかしそう。照れくさそうに
  ドアを開けて中に入ってくる。普段は普通にドアを開けてくるのに・・・心な
  しか顔も赤みを帯びて・・・

  「いらっしゃいませ」

  今日はマスターはお客さん。なにを注文するのかしら・・・

  「モカをもらおうか」

  モカ・・・そういえば、ずっと昔のころを思い出す。台風が直撃した嵐の日の
  夜、塾帰りのわたしをマスターは入れてくれたんだっけ。雨にぬれた体を温め
  てくれたのが、モカ。停電して真っ暗だった店内にろうそく1本をともして、
  わたしを怖がらせないようにしてくれた。その時のマスターの話してくれたこ
  と、今でも思い出せる。マスターの苦悩。マスターの辛さ。その時はあまり分
  からなかったけど・・・

  その時とは逆の立場にある感じ。

  手際よくしなきゃ。師匠が見てるもの。少しでもタイミングを逃すとコーヒー
  の味は落ちる。たとえ女子高生が相手でも妥協してはいけないよ、詩織ちゃん、
  そうマスターは教えてくれた。誰であろうとお客さんはお客さんだし、一度ま
  ずいコーヒーを飲まされると舌が慣れてしまうからね。うちのお客さんにだけ
  は本物のコーヒーを飲んでほしいから。マスター、こだわりやさんだから・・
  ・すこし頑固者だし。だからこそ今日は失敗できないわ。コーヒーペーパーを
  用意して、お湯を沸かして・・・たまに喫茶店でアイスコーヒーを頼むと業務
  用のやつを注ぐだけ、なんていうお店もあるから、今となってはこういう本格
  的なコーヒーを入れるお店って珍しいわよね、考えてみると。しかもそのメイ
  ン客が女子高生だなんて。

  「お待たせしました」

  モカくらい鼻歌まじりでいれられるようになった。うん、いい香り。我ながら
  上出来。マスターは誉めてくれるかしら・・・ゆっくりとカップを手に持ち、
  鼻の下へ。香りを楽しむ。でも冷める前に飲まないともったいない。香りを楽
  しむまもなく口に含む。今日はマスターがお客さん。どうかな・・・喜んでも
  らえるかしら・・・。

  「マスター・・・!?」

  マスターは、カップを片手に・・・じっとコーヒーを見つめていた。おいしく
  なかったのかしら・・・

  「もしかして、失敗しました?おいしくなかったですか?」
  「い、いや、そうじゃないんだ・・・そうじゃないんだ・・・」

  マスターの目がこちらを向いて・・・そして微笑んで。

  「おいしいよ、詩織ちゃん。この世で一番のコーヒーだ」
  「え?あ、そ、そう・・・ですか・・・?」

  私は言葉の意味をもう一度思い起こして・・・え?この世で一番?

  「この世で一番って・・・マスター」
  「ああ、私が自分で入れるよりおいしいよ、詩織ちゃん」
  「ほ、ほんとですか?」
  「ああ・・・人にいれてもらうコーヒーは自分でいれるコーヒーよりおいしい
  ものだけど、こんなにうまいものだとは思わなかった。この数年間自分のコー
  ヒーは自分でいれてきたからかもしれないけど・・・」

  マスターの顔がさびしそうな表情をする。つらい過去を思い出さないようにし
  ているにもかかわらず、ちょっとしたことで思い出してしまう、そんなつらい
  過去。

  「マ、マスター?」
  「え?なに?詩織ちゃん」

  わたしは・・・きっと心の奥底から言っていたのね。自分の口からそんなこと
  を言うなんて思ってもいなかったから。

  「わたしが、これからずっとコーヒーいれてあげますよ」
  「詩織ちゃんが?」
  「この世で一番なんていわれたらそうでもしたくもなりますって・・・でも」

  でも・・・

  「あの世では負けちゃうってことですよね」
  「え?い、いや、それは・・・言葉のあやってもんでだな・・・えい!もうど
  うにでもなれ!」

  マスターはわたしのほうへ向き直ると・・・

  「詩織ちゃんのコーヒーが一番うまい・・・だからというわけではないが、私
  は詩織ちゃんのことが好きだ。好きになってしまったんだ・・・」

  マスター・・・わたしは・・・

  「その言葉をわたし、待っていたのかもしれません。自分から言い出せなくて
  ・・・マスターに言わせてしまった・・・」

  そう。わたしはこの4年間ずっとマスターの側にいた。マスターのいろいろな
  面を見ることが出来た。マスターの微笑みや、怒り、悲しみ。いろいろと見て
  きた。そんなこんなを全部含めて、わたしはマスターのことを好きになってし
  まっていたみたい。でも、マスターにはつらい過去があった。だから、わたし
  の入り込める余地なんかこれっぽっちもないと思ってた。わたしはそれでもい
  い、仕方がないって思ってた。わたしなんかじゃ、マスターの恋人の替わりな
  んか務まるはずがないから・・・

  わたしにはわたしなりの苦しみもあった。わたしだって、つらい思いをしたか
  ら・・・それからというもの男の子に対してはどうしても抵抗感がぬぐえなか
  った面があったのは否定できない。でも・・・マスターのおかげで、マスター
  がやさしく接してくれたおかげでわたしの心の傷が癒えたんですもの。わたし
  もマスターの傷を癒してあげたい。最初は前の恋人のことを思い出してつらい
  かもしれないけど・・・いつかはわたしのことを見てくれるかもしれない。も
  ちろんそれに気づいたのは2,3年くらい経ってからだけれど。

  でも、すべてはマスターの心次第。だから、わたしからは言い出せなかった。
  ただ、マスターのそばにいてあげることだけしか出来なかった。

  「わたしが言うのはおかしいかもしれないんですが・・・マスターの恋人も、
  わらって祝福してくれると思いますよ」
  「・・・そうかな」
  「そうですよ」
  「そうか・・・やっぱり女心ってのは女同士には分かるんだろうか・・・実は
  さ、昨日、夢を見たんだ。あいつの。『あなたの気持ちを大切にしてください。
  いつまでも過去にとらわれないで』って。死んでからも小言を言うんだ」
  「・・・」
  「分かってるんだ。あいつは俺がずっと独りでやっていくことがあいつに対す
  る気持ちの表現じゃないってことは。あいつは、そんなことをしても絶対に喜
  ばない。それは分かってたことだ・・・でも、俺にはそうすることでしかあい
  つに忠義立てする方法を知らなかった。俺一人幸せになることは逆につらいこ
  とだ。そう思っていたんだ。でも、やっと気づいたよ。俺が幸せにならなきゃ、
  あいつは毎晩でも小言を言いにくるんだって。俺が幸せになることがあいつに
  とっても幸せになることなんだって。今更ながらに気づいたんだ。あいつが死
  んだということを認めるのがイヤで、ずっとこうして独りでやってきた。最愛
  のものを失うことはつらいことだからね」
  「マスター・・・」
  「あいつに言われたから、俺は詩織ちゃんのことを好きになったんだと思われ
  ても仕方がないけど、決してそんなことはない。詩織ちゃんのことを好きにな
  ってしまった気持ちを抑えるのにかなり苦労したんだから・・・これでも」

  わたしは・・・知らない間に涙が出ていたみたい。でも、悲しいんじゃない。
  高校の卒業式の時に流した涙とは違う。

  「わたしも、マスターのことが好きです。マスターのことを幸せにしてあげた
  いし、幸せになって欲しいし。亡くなったマスターの恋人も幸せにしてあげた
  い・・・」
  「・・・ありがとう。私も詩織ちゃんを幸せにしてあげたいと思う。でも、こ
  んなオヤジでいいのかい?」
  「え?こんな小娘でいいんですか?」

  わたしとマスターは見つめあって、そして思いっきり笑ってしまいました。

  「じゃぁ、改めて出かけますかな、お嬢様」
  「え?今からですか?」
  「お嫌ですかな?」
  「いいえ、よろこんで」

  夕焼け色に染まる空を窓越しに見上げながら、わたしはこの上ない幸せを感じ
  た。この人といっしょだから、わたしは幸せなんだ、と。「好き」とか「嫌い」
  とかって感情、誰が考えついたのかしら。「好き」という感情を発見した人に
  感謝したい気分。それと・・・この不思議な運命の巡り合わせに。

  「おーい、詩織ちゃん、そろそろ行くよ」
  「はーい、マスター」

  まだ二人の時は始まったばかり。でも、この気持ちは永遠に変わらない。絶対
  に忘れない。

             ☆              ☆              ☆              ☆

  このときめき。わたしのメモリアル。

                                              ときめきメモリアル外伝  完